午前3時起き。
福井県は美浜町、決して栄えているとは言えないその田舎町に日向(ひるが)漁港はある。
朝4時発の船に乗りこんだ漁師たちは慣れた顔持ちで、定置網(漁のポイント)に付くのを待っている。
僕が普段乗り慣れない船と少し荒くなった波に船酔いしはじめたほどのタイミングで、
目的地に付いたのだろう、船が止まった。
その瞬間だった。
さっきまでまるで活気のなかったような男たちが
「目の色を変えて」とはこの事かと言わんばかりに
一斉に走り出し、網を引き始めた。
船体は止まっているとは言え、まだ波がかなり大きく、周りの足場も20センチの高さもない。
何かに捕まらなければ歩くことすら難しく、
下手すれば極寒の海に放り出される危険と隣り合わせのその上を
一目散に走っていく彼らを見て命懸けの意味をほんの少しだけ感じた。
*
彼らにとっては命懸けであり日常の、その漁の帰り。
「ほれ、これ食ってみ。」と一人の漁師が刺し身の盛られた皿を僕に差し出す。
捌きたてのそのイカは、それが透けるほど透明だ。
腹が減っていたんだと、そこで初めて気が付く。
コリコリでもなくモチモチでもない、そのはじめての食感に思わず笑ってしまった。
刺し身良し、炙りも良しで、バーナーでさっと表面を撫でると香りも旨みもぐっと増す。
「どうだ!うまいだろ!新鮮なイカは白くねえんだよ!」
と無邪気に笑うその顔はまるで子供のようだった。
怒涛の3日間を終え、美浜を去るときに聞いた彼らの言葉が思い出される。
「そうなんだよ!うまいんだよ!だから皆に食ってほしい」
「うまいのに知られてない魚がまだまだたくさんいんだよ」
「俺たち、漁業で美浜を元気にしたい」
「なんで漁師やってるかって?だってそれしか知らねえもん俺」
*
これは3年前の2015年11月のこと。
当時僕は、鮮魚を専門に扱う居酒屋のホールスタッフとしてアルバイトをしていた。
実はここで働くアルバイトには希望者向けに、契約漁師の下で2泊3日の漁業体験ができる研修がある。
普段魚を届けてくれる漁師と同じ船に乗り、間近で漁の様子を見たり、〆処理など実際に体験できるのだ。
面白い経験ができるかもしれないと思い、大学の授業を休んで参加したその研修で、
そこのスタッフがイキイキ働く理由と、彼らのおすすめを楽しみに店に通う常連さんの気持ちを、少し知ったのであった。
あんな体験をしてしまうと、ホールスタッフのおすすめやメニュー紹介のトークが
研修前とは全く違う温度で語られるのは言うまでもない。
生産の現場、自身の体験はお客さんへ提供する時のことばに熱を宿す。
ただ提供するだけではなく、リアルで魅力的な物語を帯びていく。
そしてその熱はどうやらお客さんにも伝わるようで、
研修後の接客ではお客さんから返ってくる「へぇ~!」の温度も違うのだ。
モノで溢れ流通が活発になったこのご時世、どんなお店で何を頼んでも、それなりに美味しいものが食べられる。
しかしだからこそ、なぜうまいのかを知れば、「食」の場はもっと楽しくなると思う。
「なんかうまい」から「だからうまい」に変わる感覚。
これが、「どんなお店で何を頼んでも、それなりに美味しいものが食べられる」現代に
このお店が選ばれるひとつの理由なのかもしれないと感じた。
今回は、「食」をより楽しむための方法を私の体験を交えて書き始めた。
これを読んでいる方の中で、例えば居酒屋で注文する時、食べる時、
そのお店の料理やお酒がどこの産地のものかを気にする人はいても、
どんな人の手を介してそこに並ぶかまでを考える人は、そう多くはないと思う。
しかし、普段口にしている美味しいおつまみやお酒にもその裏には生産者がいる。
その「うまい」をつくった人たちがいる。
食に対して興味があれば、もう一歩踏み込んでうまい理由を知ってほしい。
どのように今、自分が食べるところまできたのかを知ってほしい。
その裏にあるストーリーに触れれば、自分の感じた「うまい」をより納得できる。
そうすれば「いただきます」はきっともっと味わい深いものになる。