Movin Café

編集部雑記

ふと、考えたこと。「伝える」と「伝わる」について。もっと言えば「違い」について、です。

 

争いや対立、イノベーションや多様性、不満や不安が発生するその根本にはコミュニケーションが鎮座していて、

その抽象的なことばの中身を覗いて「問題」に辿り着くのであれば、やはりそれは「違い」だ、とぼくは思うのです。

 

この雑記では「違い」が生じる構造と「違い」を解消する方法を超主観的に記してみたいと思います。

 

 

さて、「違い」が顕著に出るのが日常のコミュニケーション。「伝える」と「伝わる」ではないかと思います。

 

  • (私が)伝えたいことが(相手に)伝わらない
  • (相手に)伝わったことが(私が)伝えられたこと
  • (相手に)伝わるように(私が)伝える

 

このような悩みやアドバイス、金言に出会ったことがある人は多いのではないでしょうか。

 

かく言うぼくも、伝えたい気持ちが常に先行するので、この悩みやアドバイスに出会う機会がとっても多かった。

そして心で感じて、DNAレベルで思っていました。「この違い(GAP)を埋める、それは無理だ」と。

心やDNAレベル、つまり無意識的にそう思ってしまったところで、意識下ではGAPがあるなら埋めたいもの。

また、人間関係を構築する上でも重要ですし、言わずもがな、社会人としても大切なスキルだと思います。

なので悩むことが多かった。そしてひとつの結論、ぼくにとっては新しい世界の見方に辿り着きました。

 

今日はその話がしたいのです。

 

 

まず、「違い」が生じる構造にアプローチするために、

コミュニケーション(「伝える」と「伝わる」)でGAPがない状態とはなんだろう?ということを数字に置き換えて考えてみました。

 

伝えた(い)ことの最大が100として、それを発信する。

その結果として、伝わったことが100である状態、これが「GAPがない状態だ」と定義します。

 

では、伝えたことが100だけれども・・・

伝えたこと以上に(150で)受け止められること、伝えたことが(50しか)伝わっていないこと。

これはGAPといっていいでしょう。

 

さらに、伝えたいことは相変わらず100なんだけれども、発信できた内容が十分ではなかった(70の)ときはどうか。

このように、受け取った時点でズレが(50で)ある場合はもちろんGAPでいいと思います。

 

ではこれはどうでしょう・・?

発信できた内容(70)と受け取った内容(70)には相違がない状態。GAPがないとも言えそうです。

けれども「超主観的」な見地からは、伝えたいことが100ならば、それを伝えられていない時点でGAPは生まれている。

すなわち、伝えたことと伝わった範囲では相違がないけれども、そもそもからは離れている。

だからこれもGAPじゃないかと思うのです。

 

少しくどいようですが・・最後に、これはどうでしょうか?

これは、それぞれに解釈が分かれそうです。

伝えられていないことを汲み取ってもらう、という状況。

結果的にGAPはないけれども、システム(数値)としてGAPが起きている。あなたはどう考えますか?

 

これまた「超主観的」に言えば、このケースのみGAPなし。

ただし、発信できた結果が1だった場合、伝わったことが100という状況は生まれづらい、、はず。

さらに、その発信できた結果が「どの程度」であればOKといった条件や、

受け手との「関係性の有無」など変数(不確定要素)も大きい。

つまり”ほとんど起きないGAPなし”なのではないか、と考えます。

※これがGAPかどうかを決めることは結論にそれほど影響しないので、スルーすることにします*²

 

 

とすれば、です。ここから本題。

「GAPがない状態」というのは、

 

  1.  発信者が伝えたいことを100で伝えられた
  2.  その上で、受信者が100できちんと受け取った

 

この場合に限るのではないかと思うのです。少し理屈っぽいのですが、論理的にはそう。

つまり、とんでもない確率(0.01%*¹)でしかGAPなしは存在しない。

逆に言えば「99.9%でGAPが発生する*²」ということになります。これが「違い」を生み出す構造になっています。

*¹:100分の1✕100分の1=10,000分の1=0.01%

*²:上述しているように、「受信側が常に100」で汲み取ることができる場合は「GAPは存在しない」ということになりますが、例えば、「伝えなくてもわかる」「察する」も発信の内容の多寡や関係性に依るものだろうから、今回は「受信者が常に100」という条件は「超主観的」に除外することにしました。

 

結果として、冒頭の3つの金言には、

 

  • 伝えたいことが伝わらない   → しようがない
  • 伝わったことが伝えられたこと → そんなことない
  • 伝わるように伝える      → それじゃそもそもだめ

 

と、程度はあれど、そう思う人がいて不思議ではないし、

「この違いを埋める、それは無理だ」という感覚もわからなくはない。

 

でもやはりこれではだめだとも思います。

こんなことがまかり通る世界では、不満や不安な気持ちは高まり、対立は深まる。そして争いは激化する。

イノベーションも生まれなければ、多様性もなく同質化していく。だからだめだ。

 

では、この「違い」の構造をどう解消するか。

ぼくはここに「対話」の重要性があるのではないか、と考えます。

 

 

そもそもコミュニケーションの語源であるラテン語のコムニカチオ (communicatio)の意味は、

「伝える」「伝わる」ではなく「分かちあうこと、共有すること」なのだそうです。

 

では、どうしたら「分かち合える」のか。

それはきっと「1度でどうにかしようと考え(思わ)ない」ということなのかもしれないな、という思いに至りました。

 

ぼくは社会人になって、経験を重ねたことで気持ちに変化はあれど、

元来、体育会気質の強い人間であることを自覚しています。

幼少から社会人になるまではチームや集団に属し、試合という「納期」に、

勝つか負けるかの「1発勝負」の世界で生きてきた。だから1回に込める気持ちが強いのです。

そしてその1回の怖さを身をもって体感してきました。

そういう意味では物事のすべてを「1度でどうにかしようと考え(思わ)ない」は、

ぼくのDNAレベルまで落とし込むのは少し無理が生じます。

それこそ1度で結果が出てしまうもの=試合もそうですし、大事な日のプレゼンテーションもそうでしょう。

きっと、ぼくは、まるで「1度でどうにかしたい病」の予防接種をして、既に抗体をもった身体になっているかのようなのです。

 

ただ、そのプロセスには常にGAPがある前提で進めていく。やり取りを交わして通じ合っていく。

つまり、なにか早急に判断をしなくてもいいときには「1度でどうにかしようと考え(思わ)ない」ことが大切。

相手の存在を認識し、互いの価値観を共有し、関係を築き、信頼で結ばれて、GAPを埋めていくということ。

なにより、こういった前提・スタンス(意識下にあること)がとっても大切だと感じます。

 

言葉にしたら当たり前で普遍的、そして綺麗事なのだけど、

「伝える」と「伝わる」、もっと言えば「違い」について考えてみたら、

「対話」ということを続けていくことが大切なのだと心から、さらに、左脳的にも十分に理解できたのでありました。

 

 

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