4年前の春、長野県の小布施町で開催された「とあるプログラム」に参加しました。
Project Design Officeの中村一浩さんが企画し、小布施町役場が協賛、
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(以下:慶應SDM)が後援。
参加者は東京や小布施町から10名前後。
地域での事業創造を目指す研修のような、ゼミのような、そんなプログラムでした。
そこで「幸せ」の研究で知られる前野隆司教授(慶應SDM)がお越しになり、
著書である「幸せの日本論」を題材にして対話をする機会をいただきました。
今や多くの企業人が知ることになった「幸せの4因子」を発表した前野教授ですが、
このプログラム当時は研究成果が世の中を席巻する前で、当時は日常に「幸せ」の題材を持ち込むことは
なんだかタブーのような、怪しいような、そんな煙たさや靄(もや)をぼくは感じていました。
ただ、その感覚はすぐに違うものへと変わりました。
科学を根拠にわかりやすく説いた「幸せの4因子」と前野教授のお人柄が相まって、
とあるプログラム以降、瞬く間に「幸せ」に関する考察や思想が企業人の間で語られるようになり、
ぼくには「幸せ」が市民権を獲得したように映りました。
そのダイナミックな変遷を目の当たりにして、結果的に「幸せ」に対する靄も晴れていったのです。
※以前ぼくが人事部門にいたこともあり、友人・知人に人材・教育系のお仕事をしている方が多く、会話やタイムラインの中で
「幸せの4つの因子」「前野先生」といったキーワードの出てくる頻度が半端ない!という影響も相当に大きいと思います。
一方で、このプログラムで「幸せ」を考える機会に触れ、
ぼくは「自分の幸せ」の”構成(内訳)”を自分なりの言葉に落とし込みたいと願い続けていました。
以降、自分なりに考えては結論が出ず、「幸せの4因子」を目にしては拠り所にしつつ、
事あるごとに思索しては、保留にし続けていたテーマだったのです。
そこで、エイヤ!と編集部メンバーに「幸せについて、どう思う?」と聞いてみたところ、
これがなんだか面白い対話の場になったので、
今回はこのメディアの編集部メンバーと「幸せ」について対話した結果について書いてみたいと思います。

話題の「幸せの4因子」
「幸せ」とはなにか?
まずはこの言葉の由来を皆で探りました。
しあわせは、「しあわせる(為る+合わせる)」の名詞形として室町時代に生まれた語。 本来は「めぐり合わせ」の意味で「しあわせが良い(めぐり合わせが良い)」・「しあわせが悪い(めぐり合わせが悪い)」と評価語を伴なって用いられた。 (参照: 語源由来辞典)
つまり、「しあわせ」はめぐり合わせの中で起こった事態やその状態のこと(名詞)であり、
別途、自分の物差しで良し悪しを評価する(形容詞が)必要があった、と。
現代において、「しあわせが悪い」だなんて口にすると、少し違和感がありますよね?
もう少し調べてみると、どうやら「幸」の字は、手枷の象形文字から出来ているようで、
「重たい刑罰からは免れた(手枷を嵌められる程度で収まった)」ということなんだそうです。
さらに、インターネットで「幸せ」を検索すると、「運が良い(こと)」と出てきますが、
本家大本の広辞苑には「幸せ」という項目はありません。(「仕合せ」という項目になっています)
不思議だ・・。
こうして紐解いてみると、現代で言う「幸せ」は、人の心(評価)が生み出すものであり、
実存するものではないということです。
あるのは「しあわせ=めぐり合わせ」であり、それを自身がどう捉えるか、という心の持ちようなのです。
HappyとLuckyの違い
編集部内では「へ〜、そうなんだ!」と、知的好奇心が満たされつつ、
英語で言うHappy(幸福)とLucky(幸運)の違いを検証してみよう!という流れになりました。
既に個人でブログを書いて検証している方が多かったので、
ぜひ読者の皆さんにも検索してみていただけたらと思いますが、
いくつかの記事や文献を拝見して、内容をまとめてみると・・
Happyは古英語のHap(偶然)が語源で、動詞化する「-en(する)」と合わさって、まずHappen(偶然起こる)という単語が生まれた。その後、形容詞化する「-y」と合わさってHappy(運のある・幸運な)が出来た。
偶然を形容詞化する。つまり、日本語の「しあわせ」と親しい感覚です。
Luckyも語源は「Hap」から来ているようで、Luck(偶然・天命)に形容詞化する「-y」が合わさって
Lucky(幸運)なんだそうです。
語源を一(いつ)にするものとして、違いは使われ方になるようですが、
現在では、Happyの方が「望みが叶っているか(主体的)」、Luckyは「運のめぐり合わせ(状態)」として
活用されることが多いように感じます。
・I’m lucky to get a new car. (新しい車をGetできてラッキーだ!)
・I’m happy to get a new car. (新しい車をGetできてハッピーだ!)
前者は運の良さを感じますし、後者は努力の影を感じたり、心の声の様な感覚を得ます。
世界の「しあわせ」
編集部としての「幸せ」についての対話はここで終えたのですが、
記事にするにあたりもう1段調べてみることにしたのが、”世界の「しあわせ」”の由来や語源についてです。
- ドイツ : Glück(名詞) / Giucklichkeit(形容詞)
→ 幸運の女神「Fortuna」に由来する言葉で、本来は「幸せ < 運がよいこと」のニュアンスが強いようです。
- フランス : Bonheur(名詞) / Heureux(形容詞)
→ Bon(良い)+ heur(時間)なんだそうです。オシャレ。
- イタリア : Felicità(形容詞)
→ ラテン語「fēlīx(幸運な)」が語源。フェリックスさんといったように、人名に使われることが多いのが特徴。
- スペイン・ポルトガル : Feliz
→ これもイタリアと同じくラテン語「fēlīx(幸運な)」が語源。
- 中国 : 幸福
→ 多くの日本語の語源ですからね。笑
ポルノグラフィティのあの歌
結局、記事のタイトルである「幸せについて本気出して考えてみた」について
長々と書いてきましたが、”本気かどうか”は振り返ってみるとなんとも言えません。笑
なにより「考えた結果」よりは「調査した結果」ばかりが記事になってしまいました。。
ただ、あーでもない、こーでもないと「しあわせ」について楽しく対話できた時間は貴重でした。
そしてこのタイトルは、そうです。ぼくの青春時代に「サウダージ」や「アゲハ蝶」などで
爆発的な人気を博したポルノグラフィティの曲名から拝借しています。
その曲の後半にある歌詞が素敵なので、皆さんに共有させていただいて文を綴じたいと思います。
つまんない事 嬉しい事 繰り返して結局トータルで半分になるってよく聞くじゃない?
そんな淋しい事 言うなよって感じだ どうにか勝ち越してみたい 密かに全勝狙い
誰だってそれなりに人生を頑張ってる
時々はその「それなり」さえも誉めてほしい
幸せについて本気出して考えてみたら
意外になくはないんだと気付いた
僕は幸せに対して失礼だったみたい
もう一度丁寧に感じて 拾って集めてみよう
(引用:ポルノグラフィティ「幸せについて本気出して考えてみた」より)