

さて、独立後の危機を脱し、組織づくりの過程を経て、再び大きな「転機」が訪れます。
以前お伝えしたように、ネクスウェイは1988年にリクルートの1事業部として産声をあげ、
2004年にリクルートの100%子会社として分社化した会社でした。
その、分社から4年後の2008年。親会社が株式会社インテックに変わることになります。
株主の変更。
しかも、多岐に渡る「サービス提供」を得意とするリクルートと、SIerとして「システム開発力」が
売りのインテック。これはなかなか大きな”クラス替え”です。
2008年当時、ちょうど内定者だった筆者にも、その旨を伝えるために採用担当の方から
電話がかかってきました。
一緒に働く社員が変わる訳ではないので戸惑うことはありませんでしたが、それでも親会社が
変わるというのは、驚いた出来事でした。
ネクスウェイのお客様やパートナー企業にも、もちろん丁寧に案内がされました。
数年をかけてロゴが変わったりコーポレートWEBサイトが変わったり、名刺が変わったり、
少しずつインテックグループの一員としてのブランド統一も進められていきます。
また、社内の現場にも様々な変化が訪れました。
システム基盤に強いSierを親会社に持つことによって、サービス提供に関わるインフラ面や人的リソースに
シナジーが生まれ、サーバの移管やエンジニアの合流、そのほか事業部門でも人材交流が盛んになりました。
この点について、当時の社長が以下のように語っています。
【何のための、株主変更だったか?】
私たちが組み立てた「強み(コンピタンシー)」「得意技」を基軸に事業・会社の運営をすること考えると、
リクルートグループを離れインテックグループの方が成長できると考えたからでした。
様々な案件での協力関係は想定以上に進んでいます。やはりリクルートグループよりも事業そのものの親和性が
高かったり、出資者にとっても関心度が高いことがあります。
新たな支援者を得たネクスウェイは、さらなるサービス向上に向けて舵を切ります。この”先行投資”を一日でも早くお客様に
価値として提供できるように、発破をかける意味あいで「使えるものは親(会社)でも使え」という少々過激なキーワードも
よく社長が口にしていました。
▼取締役としてインテックの方がネクスウェイに着任いただくことも。
当時の社内報「Movin’ Cafe」に、そのときの対談が掲載されています。
(「ライバル」という表現は、かつて両社は通信サービスの分野で競合だったため笑)
しかし、そんななかで日々起きていたのはまさしく「異文化交流」。
インテックとリクルートでは、社風、企業文化、仕事の進め方、営業スタイルなどが大きく異なります。
様々な「違い」にお互い驚き戸惑いながらも、協奏を強化すべく、様々な交流の機会や、共同イベントも積極的に行われました。
特に、ネクスウェイが当時四半期(クオーター)ごとに開催していた「キックオフ」に参加いただいたことは、ネクスウェイが
どんなことを大事にして事業をしているか、どのような風土なのかという点を感じていただく上で非常に良かったと思います。
ちなみに当時のキックオフは、司会は毎回必ずなにかしらの仮装をしてオープニングにミニコントを行う、という決まり(伝統?)
があり、それがインテックの方にはとても珍しく映ったらしく、この頃インテックの方とお会いすると
「ああ、イベントが派手なネクスウェイさん!」
と言われたりしていました(笑)
▼キックオフでの表彰の文化も、「インテックには新鮮だった」とのことでした
その後、インフラや人材面だけでなく、具体的なサービスの分野でも、両社がお互いのサービスを販売したり、
営業に同行してお客様に提案をしたりと協力体制が強化されていきました。
(筆者も営業マン時代、インテックとタッグを組んで営業をしたことがあります)
いま思えば、経営層も現場も、新たなパートナーと相互理解を深めようと積極的に動いていました。
全く考え方の違う組織が合流するということは、仕事をしていく上でときどき生じますよね。
そのとき、一時的な摩擦や軋轢、お互いへの誤解を恐れずに、関わりあって真正面から向き合うことが、
何より大事なのかもしれません。
(そのための”機会”として、私たちのように社内イベントを活用するのも、時には効果的ですよ!)
さて、株主変更を経て、ネクスウェイは新たなサービスの開発に注力するようになります。
その第一歩「NEXLINK」の誕生と、新商品にかける思いについては、また次回に。