Movin Café

Vol.05

自分の興味があるもの、好きなもの、手をつけずにいられないもの。
それらには趣味、特技、習慣など、様々なものがある。続けているうちに、いつしか初期衝動とは別の目的が加わり、思いがけない結果や副産物を得た、または役に立った経験のある人もいるかもしれない。

しかし今回の話題は、そのなかでも特殊な部類に入る。「芸は身を助く」といった内容にも簡単には収まらない。自身の世の中の捉え方、そして人間への興味・関心を変えるまでに昇華していった、ひとつの事例と言えるだろう。


人や社会への興味・関心を、二次元へ変換する

それは一見すると、どこかの地方都市の地図にしか思えない。
しかしつぶさに眺めてみると、聞いたことがない地名、見たことがない商店のロゴ、検索しても出てこない街が描かれている。

これは、空想地図、と呼ばれている。

その名のとおり、空想された「実在しない場所」を地図として形づくったものだ。
冒頭および以下の地図は、すべて同じ人物によって手がけられている。

 

TV番組など複数のメディアにも出演し、独自の社会の見方で「空想地図」を生み出し、作家として活躍している今和泉氏(通称:地理人)にお話を伺った。

           今和泉隆行(いまいずみ たかゆき)
空想地図作家のほか、地理、地図関係のライティングやデザイン、ワークショップの実施、シェアハウスの企画を手がけている。幼少期に東京都日野市に引っ越してから、郊外住宅地と都心、農地山林を行き来することが習慣化。都市と田舎のコントラストに魅せられ、自身で空想地図の作画を開始。作画のピークだった中学校時代は「精神的には防空壕の中で生活していたようなもの」と語るように、周囲と交じわることの無い自分のキャラクターと向き合い、どう過ごせば苦がなく生きていけるのか、といった悩みを抱えていた。

空想の地図には街が描かれている。しかし、ただ闇雲に駅や住宅地を配置するわけではない。自身が今まで目にしてきた人の営みを、二次元に変換していくのだ。例えば、人が集まる場所には大型商業施設があり、オフィスビルが立ち並ぶ区域や歓楽街は、それぞれ近からず遠からずの場所で、住み分けがされていく。今和泉氏にとって空想地図の作画は、世の中を右脳・左脳の両方で感覚的に理解することに繋がる、学習的な試みであった。

また地図だけでなく、タウンガイドや間取図、近年は買い物のレシートなど「市民の落とし物」を作っている。空想都市に生きる人々が手にしているものを作りながら、彼ら・彼女らの価値観や暮らし方、行動を想像していく・・・それほどまでに「人」に興味を持つ原動力には、一体何があるのだろうか?

人の暮らしをリアルに想像した積み重ねから、空想レシートも誕生した


「解らない」ものから逃げていた中学時代

元々は幼少期、親に連れられて乗ったバスでの移動が好きで、架空のバス路線図を描き始めたことから始まった。空想地図の作画は絶好の一人遊びとして続いていたが、ずっと一人で過ごしている訳にもいかない。実は中学時代、集団生活に苦労したという。クラスの中で空気を読み合い、惰性で流されるようにモノゴトを決める人たちと、同じ価値観を持てなかった。

中学校の生徒会や委員会の運営なんかが顕著な例でした。建前では「子供ではないので、責任を持って自主的に行動、投票せよ」と先生から託されるけれど、実際は自主性なんてほとんどない。子供でも大人でもない「半人前」の扱いは教師も難しいのか、やることはおおかた決められていて、「自主的にやっている」風を味わわせる程度でしかなかった。


民主主義の体だけは取りつつ、教師の意図せぬ方向に進まないよう、例年と同じ流れに誘導される。教師に「反対するなら全員の前で意見を述べてください」とは言われたけれど、賛成することには根拠も責任も意見も求められない。流されたほうがラクだし、流されることがここでは正しい。そのことに生徒は疑問も反感を感じない。生徒会長選挙も、公約は気にせず、雰囲気と強さで選んでいる人が多いと感じた。そんな教師も生徒も、つまりは学校そのものを理解できず、一人で怒りを感じていた。

ただ一方で、私の正しさを主張し、行動しても効力がないことも分かっていました。この学校は衆愚政治社会のミニチュアのようなものだけれど、おおかたの生徒もそれを良しとして、そのミニ社会は回っている。逆に、世の中の成り立ちと力学を理解するのに役に立った。改善や試行錯誤よりも前例が優先され、意味や価値より雰囲気と強さが優先するミニ社会、その中でなんとなく形成されるヒエラルキー・・・これを把握した上で、どのように生きていくべきかが最大の懸案事項でした。


結局考えた末に、自分の本拠地はこの中学校ではないと諦め、どうしたら接点を減らし、目立たずに過ごせるかを常に考えていた。そこで、「幽体離脱」するかのように自身の肉体から意識を引き離して過ごすことを決める。何も感じず、考えない。部活には入らず、授業が終わったら学校と関わらずに帰宅するという、究極の「逃げ」だった。感覚的には孤独のなか防空壕にもぐっているようだった。

 

「解らない」ものを理解する。お手本のない取り組みの始まり。

クラスの中に居ながら、傍観するばかりで関与することはない。それはまるで、都市の端の斜面から、市街地の中心を眺めるようなものだったのかもしれない。苦難の中学時代を終えると、こうした疑問や違和感を解消すべく、納得のいく校風の高校を選んで入学した。おかげで幽体離脱をやめて地に足をつけていくことになるが、現実社会への関与の仕方・振る舞い方の試行錯誤が必要になり、これはこれで難しさの連続だった。

社会や他人、そして自分を理解して比較する必要がありました。そしてその差異を捉えなければ、シンプルな選択も、人と接することも難しいと思い至った。そうした背景から必要に迫られて、人・社会に興味を持ったのです。


究極の一人遊びとしてはじまった空想地図は、中学校時代に「現実的な現実逃避」の道具となり、大人になるにつれて、逆に現実を知るための道具へと変わっていった。作品として完成させる目的はなかったので、うつりゆく現実逃避や好奇心に応じて中断し、別の作画に取りかかる。それまで何度となく描いてきた地図は、どれも完成させられなかったという。

 

人や社会への興味・関心は実際の「街歩き」という形でフィールドワークにも発展していった。日本全国を巡りインタビュアーたちの出身地の地理にも明るい。誰とでも初対面で地元トークができるのが特技だ。


世の中を理解する実験室として
現実を組み立てながら理解する「社会の箱庭」

空想地図の描き始めは、「自由の極み」だ。何をどう描いても良い。ただ、描き進めるうちに、徐々に制約だらけになり、最終的にはその制約や自由度が、だんだんと現実的な問題になってくる。

例えば、賑わう市街地を描くと、その街の歴史、集まる人数や客層が決まってくる。すると次は、その街にアクセスしやすい人々の住宅地が周辺に広がっている必要がある。農村地帯に近い市街地があまりに賑わっていると違和感もあるし、人が多い理由付けのために縦横無尽に鉄道を通すと、この人口ではインフラの採算がとれないはず…といった具合に、リアルな制約を考えずにいられない。 最初の自由さから、徐々に”そうしなければいけない”という呪縛にはまってくる。 ただ今和泉氏は、「だからいいのだ」と言う。彼にとって空想地図とは実験室であり、アウトプットしているように見えて、実はインプットしている。それが彼の、世の中を理解する学習方法なのだ。つまり、プロセスこそ重要なのである。だからこそ空想地図の完成には執着せず、空想地図の評価や価値についても根本的には興味がない。また、制約にまみれて制作している関係上、自身の理想郷をつくるという性格も持たない活動だ。

私が他人を理解、想像するための道具としては、ある程度役割を果たしました。しかしその後、空想地図を見て楽しむ人たちが増えたことで、「見る人が、他人や社会を想像して楽しめるもの」として、新たな意味を見出しています。空想地図は、そこにどんな街があるのか、どのような人が住まう場所なのか、その答えは見る側の想像力や感覚に委ねられています。もちろん、地図を書きながら私自身も小さな発見が連続しました。様々なことが複雑に絡み合っていいながら、きちんと因果でつながって、関係性のある「面」に見えてくる。それが本当に面白いのです。

 

どこかに馴染むのではなく色々な際(キワ)にいたい
そのための「リトマス紙」

そうして彼は、当初は息苦しかった世の中で生きる術を見つけていった。

今ではあらゆるコミュニティに顔を出すという。しかもありのままで。地図から世の中を眺めていた中学生時代と打って変わって、いつでもどこにでも行ける感覚を持った。しかし今でも、あらゆる界隈の際(キワ)に居たいのだという。ひとつの界隈に居続けること、そこで長く過ごすことを望む訳ではない。

人は、それぞれのコミュニティに応じて自分のキャラクターを変えてコミュニケーションを取ることが多いと思う。私にはそれが出来ません。だからこそ自分をリトマス紙の様にして、そのまま差し出してみる。そうすることでそのコミュニティと私との共通項を探ることができたり、私への反応から、互いの距離を確かめることができるのです。

 

リトマス紙型のコミュニケーション。自他の違いを測り、人や世の中を学習していく。大衆に迎合するわけではないこの生き方は、憧れる読者も多いだろう。ただ、「それぞれのコミュニティの言語、文化を体得する」のと「ありのままの自分を保つ」ことは対照的にも思える。この方法は共存できるのだろうか。

自分のキャラクターや言いたいことは保ちつつ、接し方と伝え方を工夫しています。アート系のコミュニティだとお互いの「作品」にグーッと入っていきながら、何かの感覚をつかんでいく。デザイン系のコミュニティは、創作物を言語的に説明して理解し合うことが多い。研究者、ビジネスマン、オタク…それぞれ、価値観や感じ方、接点の作り方の傾向があり、コミュニティごとに文脈や文化の違いが生まれる。それらを理解するのは外国語を身につけるような感覚に近くて、行ったことのないコミュニティで人と接点を作る方法を会得するということにつながりました。ニッチな分野の話題は、僅かな同好者にしか通じないと思っている人も居ますが、外国語と同様、翻訳すれば他者にも伝わると思っています。

 

多様なものの同居の鍵は「無」

マジョリティ(大衆)とマイノリティ(ニッチな層)、その両方を俯瞰し、理解し、実感しているという人は珍しいと思う。

「幸せの日本論(慶應義塾大学大学院・前野隆司教授 著)」には、日本人の心の真ん中には”無がある”、という言葉がある。”無い”のではなく”無がある”。日本人の心には確かに”無”があって、それゆえ無自覚にあらゆる事物・事象を雑居させられる、それが日本人の素晴らしさなのだ、という話だ。

八百万の神がそれかもしれないし、和洋折衷がそれなのかもしれない。それに当てはめるならば、大衆は事物・事象を無自覚に取り込んでいけることになるが、今和泉氏は自覚的に雑居させている例なのだろう。その今和泉氏の心の中心にはなにがあるのだろうか。

それもまた、究極の無なのかもしれませんね。私の無は本当に無・・・中心に何も無いのだと思います。日本人の平均的な”無”はスポンジのような、なんでも染み込ませられる”無”だと思います。そこに醤油がたれてくるならば醤油の色に染まり、それを自然に獲得できる。私の中心はモノを吸着するものがなく、ただの通り道で、もっと言うと空洞でしかない。だから醤油を垂らしてもそのまま流れていく。染み込む箇所がない。

 

何にも染まらない空洞。しかしその空洞を通して見る景色や色、匂い、そういったものを観察することは空想地図にも強く影響するのだろう。

一方、現代では大衆に迎合することに疲れて、精神的なプレッシャーを感じやすい人も増えている。多くの大衆が得意とする“染まりやすい(事物・事象を獲得しやすい)”体質は、現代においては他人の色に自分を染めすぎてしまい、自らを窮屈にするという弊害を生んでいるのかもしれない。

そんな現代において、今和泉氏の振る舞いに生きるヒントはないだろうか?

かつてはいい学校にいって、いい会社に入ってという選択が、多くの人にとっての「正解」だった。世間では万能で無難な最適解、いわば「中濃ソース」が理想とされてきたけれど、それでは全員が満たされなくなってきた。それぞれの素材には、別々にマッチする味付けがあるはずだから、当然の流れだと思う。しかし価値観やコミュニティが多様化、個別化すると、それぞれの距離が離れ、分断を生む側面もある。私はマジョリティである平均的な「中心」ではなく、無数のマイナーな文化圏である際(キワ)に居たい。しかし、そこに留まっていたい訳でもない。ある際(キワ)から他の際(キワ)へも移動していたいし、あらゆるものが集まる、平均的な「中心」にも行けるようにしていたい。

 

彼は占い師しかいない忘年会にも呼ばれ、参加するような人だ。極めて論理的に人の性質について理解をすすめ、異なるコミュニティを身軽に越境し、つなげることのできる生き方をしている。それは、これからの時代に必要な、無形で貴重な資産だろう。

 

(探求者/研究者の見る世界から、あしたを過ごすヒント)

①    自分の軸となる価値観を自覚する

②    他者の軸となる価値観を俯瞰して理解する

③    自他の境界を引きながら、それを越境することにトライする

 

文責:根木 俊一

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